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King of Electric Guitars [音楽]

レス・ポール氏が94歳で亡くなったとのこと。

レス・ポールといえば、ギブソンのレス・ポール・モデル。
私にとって、数あるエレクトリック・ギターの中でも最も好きなギターです。
何といってもあのデザイン。スタイル抜群の、(ちょっと古い言い回しであるが)ボディコン的なシェイプ。
コーラの瓶に通ずるものがある。中学生の頃からの憧れの的でした。

その後成人を迎えた時に、親からもらったお祝い金で初めてモノホンのレス・ポールを手にしました。
ハム・バッキングのピックアップを搭載したこのギターのサウンドは、セクシーなその女体的なスタイルと整合的である一方、男性的な荒々しさを兼ね備え、ナチュラルな設定では粘っこいアコースティック・サウンドに、歪ませればパワフルなロック・サウンドにと、変幻自在であるのでした。何を言っているのかわからなくなってきましたが、まあ非常に使い勝手がよいということです。弦のスケールもフェンダー系より少し短めだし。

・・・・・・

この度のレス・ポール氏についての報道では、「エレキギターの原型を作った人」としての紹介がメインであり、それは間違いのないことだと思いますが、ギタリストとしても本当に長く活躍されていました。

私は15年ほど前に、一度だけ氏のステージを見たことがあります。
当時、ニューヨークの3rd Avenue と17streetにあったジャズ・クラブの「Fat Tuesday」に、毎週月曜日のレギュラーとして出演しており、一度この伝説のミュージシャンを見ておきたいと思ったのです。

今、94歳で亡くなったということなので、当時は80歳くらいであったのでしょう。
観客は結構高齢の方が多く、お店の常連なのか、古くからの知り合いなのかはわかりませんが、レス・ポール氏と客席の会話は、

「最近どう?」
「うーん、心臓の調子が悪くてね・・・」

という具合で、これじゃ老人の集会じゃないかと思いつつ、ほのぼのとした気分になりました。

・・・・・

今日、久しぶりにレス・ポールとメリー・フォードのCDを聞きました。

それでは、また!
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カウントダウン [閑話休題]

本年もあと何時間かで終わります。

さて、昨日は銀座三越に行ってきた。
12月27日から1月6日まで「わたせせいぞうの世界展」が開催されており、30日はサイン会の日だったのである。
私は昨年に引き続き、サインゲットのため足を運んだというわけである。
1年前と変わらず、ダンディーな先生でありました。

そういえば今年は、9月にも江口寿史先生のサイン会にも行ったな。
昨年、弊ブログでも記載した、「わたせの国のねじ式」に関係するお二方にお会いできたわけだ。
http://blog.so-net.ne.jp/fumi-chan/2006-08-19

話は変わるが、サイン会の帰り道に通ったのだが、ITOCiAができて有楽町駅前は随分変わってしまった。
道路だったところが歩行者の通路になっているし、定食屋兼ラーメン屋のようなところや、立ち食いそば屋、やるき茶屋、ブロマイドショップなどがこの界隈にあったはずだ。
有楽町と言えば、ガード下をはじめとした場末の雰囲気が何ともいえなかったのであるが、残念。
私は仕事の関係で、都合5年ほど有楽町に通っていたので、寂しい限りである。

何か昨年も同じような記事を書いていた。

年末は基本は紅白なのだが、K1も捨てがたい。
さあ、どうする?

それではまた!


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大阪 on my mind [閑話休題]

前回の記事を書いてから随分と時間があいてしまいました。
特に何か事情があったわけでもないわけですが、何となくズルズルとしていました。
この間、高校までを過ごしたわが故郷である大阪に、20年ぶりに行ってきたことは、自分にとって一つの大きなイベントでありました。しかも10月・11月と二度行ったのです。そのわけは後ほど・・・
とても長くなってしまいますが(それでも書ききれない)、記録として残しておきたいと思います。

・・・・・・・

10月20日の土曜日に、私はふと思い立って新幹線に乗り込み、午前10時頃には京都駅に降り立った。
何故京都なのかと言えば、以前にも弊ブログに記載しているように、私は中学・高校と京都の学校に通っていたため、わが母校を久しぶりに見てみたかったというわけである。
母校はまったく様変わりしていた。話には聞いていたのだが、メインの校舎は建て替えられており、当時の面影はなかった。私の入学時には最も新しかったはずの講堂のある建物は、今では最も古いものとなっていた。

何となく寂しい感じだけが残ったが、次の目的地に向かうために、阪急の西院駅に向かった。バスの中の放送を聞いていると、当時の行先案内と変わっていなかったのが妙に嬉しかった。「あ、そうそう、円町は玉姫殿前ね」とか。「もしかして当時のまま?」と思ったのだが、乗り換えの案内ではしっかり「JR」と言っているので、それはないな、と一人で合点してしまった。

西院駅は昔のままだった。「いいね、こういう重厚な感じの階段。」と、気分も地味に盛り上がり、ついに阪急電車との再会である。滑り込んでくる準急に乗り込み、「このまま桂、長岡天神、高槻市を経て、茨木市に直行か」と思いきや、ほとんど各駅停車状態。桂で特急に乗り換えましたよ。ダイヤは随分かわったな。昔の急行の停車駅が今の特急の停車駅だ。私は窓にへばりついて、景色を凝視していた。

途中某場所に立ち寄った後、茨木市に向かった。

噂には聞いていたが、随分変わっていた。
少し前に、「阪急とともに」という記事の中で、阪急ショッピングプラザについて書いていたのだが、ここは「茨木東阪急ビル」というものに変わっていた。建物は当時から変わっていないのだが、ショッピングの店ではなく、大和証券やら、クリニック、NOVAなど、何というか、雑居ビル的なものになっていた。よく通っていた虎谷書店やフミレコードはどうなったのだろうか。

かつてダイエーがあった方面へ、駅前通りを進んだ。上新電機や茨木書店、マクドナルド、ミスター・ドーナッツは昔のままだ。時折めでたいことがあると家族で入った中華料理屋もあった。ここで昼にしよう、と思ったのだが、メニューに当時の面影はなく、やめてしまった。

次に、かつて自宅のあった方面へ南下した。当時のまま残っている建物もちらほらあり、少し安心した。自宅のあった場所に着くと、当時より隣に住んでいる方とバッタリ会った。買い物に出かけるところだったらしいが、暫く立ち話をした。

その後、通っていた小学校(当時の自宅から家5軒ほどの距離にある)や、よく訪れた団地、半年だけ通った幼稚園など回り、茨木市駅に戻った。

まず、線路を挟んだ反対側の、バスのロータリーがある側へ移動。すぐ目の前にある、当時からあった駅ビル(現在はソシオビルというらしい)に入った。ここにも先の虎谷書店と、フミレコードがあったのだが、なくなっていた。書店の方は9月に閉店したばかりらしく、張り紙が残ったままであった。これによれば、「ロザヴィア」という駅に併設されたショッピング街で営業しているようで、後で寄ってみようと思った。

その後、「阪急本通」なる商店街を散策。昔と変わらない店も残っている。商店街を抜けると、よく初詣に出かけた茨木神社があり、ここを目指した。途中、時々母と行った蕎麦屋の「更科」があったはずだと思い、「ちょっと遅いがそこで昼にしよう」と思って探してみたのだが、見当たらなかった。ここかなあ、という場所に別の蕎麦屋があったのだが、あいにく営業していなかった。

そうこうしているうちに、文字通り足が棒のようになってしまい、歩くのが限界に達した。もう5時頃であったが、最後にロザヴィアだけ確認に行くと、確かに虎谷書店はそこにあった。ただ、当時から比べると信じられないほど小規模になっていた。記念にと思い、雑誌を買った。そして、フミレコードもこのロザヴィア内にあった。ここでも、記念にと思い、CDを一枚買った。

最後に昼食をずっと食べ損ねてしまっていた私は、駅の立ち食い蕎麦屋に入った。やはり関西の味はいいなあと、一人でちょっと感動。

ということで、梅田まで阪急に乗り(6300系だった。座れなかったがラッキー!)、荘厳な梅田駅を確認した後、大阪駅から新大阪駅に移動、6時半頃の新幹線に乗り、帰京したのであった。

・・・・・・・

さて、この後11月17日にも再び大阪を訪れた。

さきほど某場所での私の行動についてスキップしたが、ここには私の親友がいたので、中学・高校時代はもとより、大学の時もしょっちゅう行っていたのだ。この友にどれだけ音楽について教えてもらい、影響を受けたかわからない。
にもかかわらず、20年間まったく音信不通であったため、ちょうどいい機会かと思い、思い切ってかつての自宅を訪ねてみたのだ。
自宅に本人はいなかったのだが、お母さんが健在で連絡がついた。
そこで、翌月、彼と会うために大阪に行ったのである。

それではまた!


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故郷 [交遊抄]

鉄道博物館が埼玉にオープンした10月14日の日曜日、私は大垣にいた。
父の三回忌であった。

昨年の一周忌は小倉でこじんまりと済ませていたが、三回忌は両親の故郷である大垣で行った。親類の多くは、大垣や名古屋といった地域に住んでいるので、集まってもらいやすいということでそのようにした。小学校以来の父の親友夫妻にも来て頂いた。

父の実家のほか、母の実家も、私が小学生の低学年の頃までは大垣にあった。
8月のお盆の頃には、父と母の実家と、場合によっては同じく大垣にあった母の姉の実家を泊まり歩いたものである。

当時、おそらくタクシーか、誰かに車で送ってもらって移動していたと思うが、何故か夫々の家は随分離れたところにあるという印象を持っていた。地図でみれば、2~3キロしか離れていないのに、である。両親の実家がそれぐらいしか離れていない、ということは「ご近所さん」であったのに、そんな意識はまったくなかった。いつも新幹線の岐阜羽島で降りていたので、「大垣市内をうろちょろしている」というよりは「岐阜県内を移動している」と思い込んでいたのかもしれない。

また、当時は「おじいさん・おばあさんの家に遊びに行く」という目的しか頭にはなく、両親が実際にそこで育っていた、という認識がまったくなかったように思う。そんなことを思うのは、ある程度年齢がいってからであろうか。

田舎というと、いとこたちとおたまじゃくしを追いかけたり、蝉をとったり、花火をしたり、とアウトドアの遊びがほとんどだったが、幼稚園の頃には、扁桃腺の手術をしたという変な思いでもある。大垣市民病院で、一泊の簡単な手術であったが(といっても本人の私は大ショックだったらしく、今でも鮮明に一部始終を覚えている)、たくさんの親戚が見舞いに来てくれた。

その後、母方の祖父母が名古屋に移ったこともあり、中学・高校と進むに連れて大垣の地を訪れる機会は少なくなっていったが、1988年に父方の祖母が亡くなった時は、「もう大垣の実家を訪れることもほとんどないだろう」と思っていた。実際に、再度この実家を訪れることになったのは、それから18年経った1年半前のゴールデンウィークであった。このことは、以前にも弊ブログでご紹介済みである。
http://blog.so-net.ne.jp/fumi-chan/2006-05-08

何故この時、父の実家を訪れたかというと、父の約半年後に亡くなった母方の祖母の納骨が近くであったため、その折に挨拶等のために立ち寄ったものである。墓地はこの実家のすぐ近くに確保してあったのだが、この時にはまだ墓を建てておらず、納骨は墓開きとともに、この約半年後の1年前の10月29日に行った。

この地を出て、45年ほど大東市・横浜市(鶴見)・茨木市・小倉と亘り住んだのち、故郷である実家のすぐ近くに戻ってきた。見晴らしがとてもよく、伊吹山を始めとした山々に囲まれている。ただ、父はそのことを知る由もない。

一方、私は暫く途切れていた大垣行きが復活し、1年半前のGWから数えて既に4度訪れている。

大垣については、子どものころは基本的に両親の実家を訪れていただけなので、これといった記憶がないのであるが、あまり変わっていないような気がする。
確かに、街道沿いに並ぶコンビニやレストラン、スーパーなど随分新しくなったなという気もするが、本質的な部分は同じような気がする。

今度時間がある時には、一度街を散策してみたいと思っている。
母方の実家があったところは、どうなっているのであろうか。
大垣は奥の細道のむすびの地である。
養老鉄道や樽見鉄道もいい感じだ。

それではまた!

大垣駅前

市街地の様子


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ウルトラな週末 [特撮]

「怪獣と美術」の企画展を鑑賞するため、三鷹市美術ギャラリーに行ってきました。

怪獣デザインで有名な、成田亨氏の怪獣デザインの原画を中心とした展示で、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン等の怪獣・星人のオンパレード。
来場者のほとんどが自分と同年代の人と見たが、やはりメトロン星人、メフィラス星人、カネゴン等、往年のスター達の前ではみな食い入るように見ていた。
各怪獣・星人のデザインのコンセプトが簡単に説明されていて、結構面白かったです。
また、突撃ヒューマンも成田氏のデザインのようで、幾つか展示されていたが、よく見るとザラブ星人に似ていることに気がついてしまった。
10月21日まで開催しているので、ご興味のある方は是非!

この日はその足で、タワーレコードに行って、「交響詩ウルトラマン・ウルトラセブン」のCDをゲット。30年ぶりに復刻されたフルオーケストラのアレンジということで、ある友人から薦められたものであったが、原曲に結構忠実で、違和感のない仕上がりであった。もともと原曲もオーケストラ的なアレンジ(どちらかというと管楽器が目立つので吹奏楽的かな)なので当たり前かもしれないが。

なお、最近トミーテックのジオコレを集めているのですが、今週末のセブン三昧の〆として、架設レイアウトにバンダイのソフビを立てて遊んでみました。肝心のセブンが見当たらなかったのですが、どうでしょう?

題1「颯爽と現れたメトロン星人」

題2「メトロン星人とペガッサ星人の友情」

題3「その輪に加わりたいガッツ星人」

セブンのミュージック・ファイルを聴きながら。

それではまた!


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阪急とともに [鉄道]

久しぶりの更新となってしまいました。

本日は阪急についてちょっと触れておきたいと思います。
幼稚園の途中から、高校を卒業するまで、私は阪急沿線に住んでいたので、阪急には格別な思いが今でもあるのです。

どこへ行くにも阪急電鉄。
中学・高校は西院まで、小学生の時の塾は大山崎まで通った。

特別な買い物は梅田の阪急百貨店へ。
母親によく連れて行かれた。
阪急百貨店の中だったかどうかは定かではないが(少なくとも現在は阪急3番街にあるらしい)、梅田に出かけた時にはよく、サンドウィッチの店「グルメ」で食事をした。「こんなに美味しいサンドウィッチが世の中にあるのか」と感動したものだった。

阪急の梅田駅がまた感動的だった。
9番線まである頭端式のホームは壮大で、2階乗り場やら3階乗り場など、わけがわからないほど大きかった。
先の3番街のほか、17番街とか、32番街とか、色々なショッピング街があったのだが、どこをどう行けばよいのか、いつも迷ったものだ。
そして、阪急百貨店は、荘厳なアーケードに面していたと記憶している。
兎に角、梅田駅周辺の阪急街は未来都市のようだった。

私の当時住んでいたところにも、小学生の頃に「阪急ショッピングプラザ」なるものができた。ボクたちは、当時「ショップラ」と、意味もなく短縮して呼んでいたものだ。大きな本屋やレコード屋が入っていて、中学・高校の頃は毎日のように立ち寄っていた。

野球はもちろん阪急ブレーブスだ。
アンチ○○であった父の影響で、始めは無理やりファンになったような気がするが、「阪急子供の会」とかいう阪急の応援クラブに入って、何度か西宮球場にも行った。
先の「ショップラ」で、福本豊と加藤秀司(現:英司)のサイン会があったこともある。30分くらい待たされたと記憶しているが、しっかりサインをもらいました(どこへいってしまったか…)。
誰かからお下がりでもらったユニフォームに、「ブレーブス」と「背番号3(長池選手の背番号)」のロゴをつけて、草野球をしに行ったものである(何かいつかの記事でも同じことを書いていたような気がする…)。

ところで、何故いま阪急なのかというと、実は先日鉄道模型の店を回っていたところ、「本日再発売!阪急6300系」と、カトーのNゲージモデルを見つけてしまったのである。4両基本セットで6,500円程度と、比較的手頃な値段だったので、つい買ってしまったのである。
6300系はボクが小学5年生の頃にデビューしたと記憶しているが、たちまち虜になってしまい、わざわざ梅田まで乗りに行ったものだった。
当時の阪急京都線の特急は、梅田を出て隣の十三に止まると、そこからは京都の大宮までノンストップで、烏丸を経て河原町が終点だった。つまり、大阪と京都の直行便だったのである。

そこで、我が家を疾走する6300系の様子をご紹介したい。
この6300系は、昭和51年のブルーリボン賞を受賞している傑作である。
ドーデス?

それではまた!


行川アイランド [特撮]

2001年8月31日に閉園となってしまった、特撮ロケ地の名所「行川アイランド」。
私が直接認識しているのは、キカイダー01の第15・16話、アイアンキング第21話であるが、この他にも仮面ライダー等で使用されているようだ。
私は一度も行ったことはないのだが、外房方面を訪れたついでに、その跡地を探訪してまいりました。

園の入り口の交差点には、未だに「行川アイランド前」の表示がある。

入口の様子。

最後の夏のイベントのチラシ、バスの時刻表等が未だに掲示されており、6年前から時は止まっているようだった。

行川アイランド駅。

今では無人駅であるが、かつてはこの改札も栄えていたのであろう。

トイレも現在は閉鎖。写真向かって左側の部分は、コインロッカーがあったようだ。

ここにも不思議な表示板。

駅の表示板はいくつかあるのであるが、ここだけが、「なめがわ」ではなく、「なめかわ」と表示されていた。
というか、「あいらんど」も「あいらんと」になっている!
誰かがイタズラで濁点を消したのですね。

話は変わるが、キカイダー01では、第5話でも外房方面がロケ地として使われている。
どの海岸で戦闘シーンが撮影されたのかわからないが、宿泊地として勝浦のホテル三日月が使用されていることがわかっている。

現在のホテル三日月の様子。
当時から随分変わっているが雰囲気は維持されているような気がする。

海中展望塔より勝浦の海岸の様子。
複雑なリアス式海岸がとても美しい。

それではまた!


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魅力的な看板 [閑話休題]

最近見つけた、魅力的な看板をご紹介したいと思います。

まずはこれ。

これだけでは、「どこが魅力的なのかわからない」と思われるかもしれないが、ここは下関駅。
東京側と言っても遠すぎるのではないか。
せめてJR西日本の管轄内の駅名にするとか。
ただ、いずれにしても、ホーム上で矢印まであるのだから、そもそも「○○側」という表記はいらない気がする。
前回の弊ブログで「火の山公園」について記載しているが、そこへ行くのに下関駅で降り立ったのでした。

次にこれ。

房総スカイラインを走行中、「サルに注意」とか、「シカに注意」に加えて、この表示が出てきた。
注意するのは落石に対してなので、「イノシシによる」という説明書きはいらないのではないか。
あるいは、「本格的な落石があるわけではなく、イノシシによる、そんなに大きくはない、小規模の落石があり得ます」ということが言いたいのであろうか。
でも、イノシシだって、その気になれば直径4~50センチの石を落とすことは出来るはず。
そうなると、フロントガラス突き破りなんてことは大いにありうるわけで、大惨事になりかねないことを考えると、やはり注意すべきは、イノシシがどのような石を落とすかではなく、落石そのものに対してであろう。

最後です。

誰に尋ねているのか。
この駅には停車する特急としない特急があるので、運転士に注意を促しているのか。
それとも、ホームが短くて、はみ出す特急車両でもあるのか。
まあ、普通に考えれば誰かのイタズラのような気がするが・・・
外房線鵜原駅にて。

それではまた!


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火の山へ [キカイダー]

突然ですが、キカイダー01第9話のロケ地、下関の火の山公園に行ってきました。
実は、20年近く前に一度行ったことがあるのですが、当時は01のロケ地であることは知りませんでした。

まずは、火の山ロープウェイの「壇の浦駅」。ここから展望台のある「火の山駅」へと向かう。
当時から外観の色は塗り替えられている様子だが、建物は同じだ。この写真ではわかりにくいが、右上にあるのが展望台である。

壇の浦駅前。キカイダーがアンドロボットと戦うのはこの右手の駐車場あたりか。

「アキラくん、ロープウェイで逃げろ!」とジローに促されてここからアキラがロープウェイに乗る。
ロープウェイには火の山駅に向かって右側を通行する「かんじゅ」と左側を通行する「まんじゅ」があるのだが、アキラが乗るのは「まんじゅ」の方である。

これが「まんじゅ」。壇の浦駅へと下る「かんじゅ」より撮影。

ハカイダー四人衆は、「火の山駅」にて、アキラが乗る「まんじゅ」が上がってくるのを待ち受ける。

展望台。この周りでキカイダー01・キカイダー、ハカイダー四人衆、シャドウナイト、赤面ガメが対峙するが、現在は当時よりも随分周囲が整備されている。

展望台内の回転レストラン。
百地頑太が食事をしているところ。

私は軽めにピラフを。
結構本格的なレストランで、「とらふくコース」なんてのもあった(要予約)。

・・・・・・

ところで、実は火の山ロープウェイは、存亡の危機に立たされている。
利用者数の低迷で、2003年4月に運休して以来、現在は期間限定での運行となっている。
本年は7月1日から9月30日までということで、何も知らずに訪れた私は丁度運がよかった。
スタッフの人たちが、皆すごく感じが良くて、呑気にも「いいもんだなあ」何て思っていたのだが、そんな事情を知ってしまうと、何かジーンときたりする。

それではまた!


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ほんものは誰だ?! [ホビー]

その昔、「ほんものは誰だ?!」という、土居まさる司会の番組がありました(1973年2月~1980年9月)。

ゲストが3人出てくるのだが、この内一人だけ本物がいる。
回答者は夫々のゲストに質問をしながら、誰が本物であるかを見抜く、というバラエティ番組だった。
例えば、非常に珍しい苗字の人が3人の中にいて、これを当てるとか。

前置きはこのあたりにいたしまして、「ほんものは誰だ?!」的なクイズを1問。
次の3つの写真は、何れもテレキャスターの写真ですが、この中で一つだけ本物があります。
それは何番でしょう?






何でこんなクイズを思いついたかと言うと、私の知人のブログで、「フェンダーギターコレクション」というフィギュアの紹介がされていましたのですが、私もいくつかこのシリーズのフィギュアを持っており、かつそのうちテレキャスターについては実物も持っていたので、このフィギュアがどれほど精巧なのかをお示してみようかなと。
http://bassniioka.blog.ocn.ne.jp/listeningroom/2007/07/post_0a3b.html

さて正解ですが・・・

②は、六本木の露店で購入したもの。全長約22センチ。
③は、フェンダーギターコレクション。全長約12センチ。
というわけで、正解は①でした。

それではまた!


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