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交通博物館、大いに語る [鉄道]

現交通博物館は、1936年に万世橋駅に併設される形でオープンしました。あの新幹線とD51が構える白い建物は、ル・コルビュジェというモダン建築の世界的権威の下で修行した鉄道省の技師が設計したものだそうです(3月4日付弊ブログ「赤れんがの記憶」で紹介しました建築家・前川國男もル・コルビュジェに師事した)。
ただ、交通博物館の展示物は、この新しい建物の中だけではないですよね。1階部分が、他の階に比べて相当広いことから容易に理解できることですが、万世橋駅のあった高架下部分が有効活用されているわけです。交通博物館の1階を歩くと、随所にその名残をうかがうことができます。
本日は、写真を中心に、万世橋駅の当時の姿を思い浮かべながら、ビジュアルに迫りたいと思います。

まずは、交通博物館の1階部分のマップ。

次に、万世橋駅の模型。写真上がお茶の水の方面、下が神田方面となります。左の荘厳な建物(設計は東京駅と同じ辰野金吾)のあった場所に現在の交通博物館の建物があります。当時ホームは2つありましたが、現在残っているのは左手の方で、この両側を中央線が走っています。

それでは順次ご案内したいと思います。

まず入り口近辺からですが、博物館併設後の、最後の万世橋駅の改札は、この新幹線の右側のスペースにこじんまりとあったようです。

入館するとすぐに、巨大なマレー式蒸気機関車とC57蒸気機関車が陳列される、吹き抜けの機関車ホールがありますが、この右手に続く「特別資料展示室」(現在、交博秘蔵 乗り物模型蔵出し大公開を開催)は、ホームへ向かう通路でした。ここの3段くらいのステップを降りてすぐのところと、通路の奥のほうに、夫々ホームへ向かう階段があったようです。

機関車ホールを左手に見ながら進むと、右手に休憩コーナーがあります。ここもかつてはホームへ向かう階段でした。博物館併設後も、ホームから直接博物館に入ることができる「特別来館口」として使用されていました。この階段の上半分は、当時の階段そのものが利用されています。いわば、館内で、万世橋駅の遺構に最も直接的に触れられる部分なのです。

休憩コーナーの左手奥に、小さな出入り口がありますが、おそらくここが、現在公開されているホームへの通路以外の、もう一つの駅への通路だと思います。

この休憩所横では、現在万世橋駅の展示が行われていますが、ここを含め、この付近の展示ブースは、当時の駅の構造を利用したものです。次の遺構の写真と比較して下さい(先般、遺構ツアーの詳細については触れないと申し上げましたが、説明の都合上、一部掲載させて頂きます)。
  

御料車の展示されている通路も、かつてのホームへの通路です。

信号機などが展示されているこの通路は、川沿いの高架下への連絡通路だったようです。

川沿いの高架下の展示室は、いくつもの小規模なスペースに、テーマ毎の展示が行われています。この高架下の展示室の外には、神田川が広がっている。

展示室をつなぐ通路。

これもこの駅の構造を利用したもの。煉瓦アーチの空洞部分と、それを縦に繋いでいる通路の制約を受けています。次の写真と比較して下さい。
    
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余談ながら、万世橋でみつけたレトロな光景です。

次の電信柱はかつてここを通っていた都電の電柱だったようです。「ショーワ 須田町2-1 肉の万世裏」と書かれた、古い看板がステキ。よく残っているなあ。
    

こんなところにも万世橋駅の栄華の名残があるのですね。

それではまた!


赤れんがの記憶 [鉄道]

「グリル丸の内 麦酒紀行 東京駅物語」は
2月28日(火)をもって閉店いたしました。
多数のお客様のご来店、ご利用をいただき
誠にありがとうございました。
 スタッフ一同、心より御礼申し上げます。
 
         東京ステーションホテル

私がこの張り紙に気づいたのは翌3月1日の夜でした。店の灯りがついていないので「今日はやっていないのかな」と思って近づいてみるとこの始末。去年の11月末頃(だったと思う)、数日間の営業中止後、リニューアル・オープンと称して、「グリル丸の内」から「東京駅物語」に店名を変えたばかりだったので、「何が起こったのか?」と思いました。このお店は、ここ5年ほどの間、仕事の帰りに最も多く飲みに立ち寄った場所なのです。月2~3回は行っていたと思います。残念だなあ・・・

この写真を撮ったのは昼時でしたが、閉店後まだ後片付け等があるのか、お店の中に灯りがついていました。写真を撮っているほんの数分間の出来事ですが、多くの通りすがりの人がこの店に近づいては張り紙を見ていました。中には、「なくなっちゃったの?」と実際に声に出してつぶやく方も。

今から思えば、その「リニューアル・オープン」の際には、隣に併設されていた「寿司処 櫓(やぐら)」がなくなっていたし、このお店のメニューも随分簡素化されたイメージを持ったことを思い出しました。

この店と並んで、時々飲みに寄ったのが、「グリル丸の内」のすぐ近くにある「上野精養軒」。

同じような店なのですが、こちらは閉店が22時とちょっと早いのです。飲み始めるのが21時くらいという場合が多かったので、23時までやっている「グリル丸の内」に行くことが多かったというわけです。でも、このお店も3月31日に閉店とのこと。一体東京駅で何が起こっているのか。

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今日は、東京ステーションギャラリーに行ってきました。おととしの夏、真鍋博 展に行って以来ですが(イラストレーターの草分け的存在の1人で、星新一等のSF物のカバーイラスト等で有名)、このギャラリーの雰囲気が好きなのです。

まずは、このフロント。この写真は、フロントから会場への階段の踊り場から写したものです。

次の写真は、館内のティールーム。赤れんがの壁の雰囲気がいいでしょう?

本日やっていたのは、「前川國男 建築展」。上野にある東京文化会館の建築等、モダン建築の第一人者だそうで、若い人からご年配の方まで、賑わっておりました。この展示は、明日3月5日(日)に終わるのですが、その後は5年ほど休館し、再開は現在とは違うスペースになるとのことで、急いで本日駆けつけました。間一髪、間に合いました。

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ギャラリーから出た後、東京ステーションホテルを散策。クラッシックなホテルの雰囲気っていいですね。回廊の左手には南口の改札の風景が広がっています。

次の写真はホテルのフロントの様子。

ロビーでは東京駅の模型が展示されています。

東京ステーションホテルも、3月31日で、営業を休止します。再開は、同じく5年後の予定です。

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東京駅から色々な店が一斉に消えていくのは、復原工事が始まるからです。東京駅は1914年にオープンしたわけですが、1945年の5月に戦災で3階部分と、北口・南口のドームを消失しました。このため、復旧の際には3階建てから2階建てに変更され、また各ドームの屋根も、簡素な形に改められました。当時は「4年くらいもてばいい」という応急措置的なものだったらしいのですが、1947年の復旧から約60年間、そのままでもってしまったということです。初代東京駅の約2倍の期間の間、活躍していることになります。

今回の復原工事では、初代東京駅に戻すとのこと。一体何のためでしょうか。多くの人々は、現在の2代目東京駅に慣れ親しんでいる筈です。今の東京駅が、戦後の復興を、丸の内の変化を見届けてきた筈です。私は今の東京駅がいい。大学受験で上京してきた際、降り立った東京駅の赤れんがは非常に印象的でした。

「赤れんがの記憶」とは、東京ステーションホテルが、現在の姿を記録として残しておくために発行した写真集のタイトルです。この言葉にすべての思いが込められている気がする。

それではまた!


交通博物館~新たなる旅立ちに向けて [鉄道]

スーパーカーに夢中になる少し前ぐらいの時期でしょうか、鉄道が大好きだった頃がありました。当時、親の実家の関係(つまりは祖父・祖母)で新幹線にはよく乗っていたのですが、寝台特急に乗ったことがなく、ものすごい憧れの的でした。中でも583系が好きで、私が鉄道に興味を持った頃には引退していた「月光」に惹かれていました。

鉄道写真の撮影は、既に一部の友だちが行っていましたが、私も父からキャノンのカメラを譲り受け、準備が整いました。当時は今のような全自動ではなかったので、シャッター速度、しぼり、ピントはマニュアルで合わせていました。お天気が普通に晴れている日は125の8だとか言って、一丁前のカメラマン気分に浸るまでに大した時間はかかりませんでした。

ただ、大阪で鉄道写真を撮るには限界がありました。大阪発着の寝台特急は限られているうえ(上野・東京が羨ましかった。大阪を通る583系は、「なは」や「明星」しかなかったと思います)、駅に写真を撮りに行こうと思えば、早朝6時とかになってしまうので、流石の私も断念していました。

そこで目をつけたのが向日町にあった電車庫。ここに侵入し、格納されている特急電車に忍び込み、座席に座ったり、勝手に列車名の表示板を変えたりしました(つまり、583系の車両を見つけてその列車名表示を変えれば、1台の特急で色々な列車を撮影できるわけです。既に引退した月光すらも)。一度、電車庫内を移動する列車に轢かれそうになったこともあります。怖かった・・・

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前置きはこれぐらいにして、本日は交通博物館に行って来ました。開催中のイベントである「旧万世橋駅遺構特別公開」の見学の予約を本日10:45に入れてあったので、長女を除く家族3人で行ってきました。

受付を済ませると、遺構ツアーの札を渡されました。

集合場所は、交通博物館のランドマーク的存在の鉄道模型である「パノラマ模型」奥。集合時間が10:35だったわけですが、10:30からこの博物館の人気イベント、パノラマ模型の運転があるこということで、この辺りはかなりの人だかり。水族館に喩えるならば、イルカショーですね。

集合場所で、注意事項の説明があったあと、遺構内へ移動。6分間の解説フィルム上映の後、見学&写真撮影タイム。約20分間のツアーでした。

その後、昼時で混む前に、どうしても行っておきたかった館内の食堂「こだま」へ直行。当時の最新特急列車であった「こだま」の食堂車を再現したもので、内装は列車を製造している大井工場が担当し、食事は食堂車を運営している「日本食堂(現:日本レストランエンタプライズ)」が担当しています。今では見られなくなった食堂車も、ここで体験できるのです。

食事のメニューはカリー物のみ。多分、業務用のレトルトの味なのですが、ここではそれも奥ゆかしい。

食堂のとなりには、休憩所があります。座る場所の一部が、実際の電車の座席だったりして、かふいふ志向がこの博物館のとても良いところだと思います。我々の年代には本当に懐かしく思うのです。

4階から下がりながら館内を見学しました。ボーイング747の座席を再現している展示品ですが、ここ結構好きなんですよ。前回(5~6年前)きたとき、何故か息子はここに座りたがらなかったなあ。ここは実際のジャンボ機のビジネスクラスの2-3-2の座席配置で、結構なスペースを使っているので、本当に機内にいるような気分になれます。写真は、ギャリー(配膳場所)から座席を臨むところ。

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この交通博物館は、来る5月14日をもって、現在の場所に移ってから70年の歴史を閉じるといいます。私は、東京育ちでもないのですが、大きなショックを受けました。我々や、我々の親の世代の思い出が、また一つ消えていくのだなと。

ましてや、この博物館を支えてきたスタッフの方々の思いはどれほどのものなのでしょうか。博物館の解説書である「交通博物館のすべて」の ”はじめに” の欄では、館長がこのように挨拶をしています・・・「本書は、当館の将来を担う若手学芸員が中心となってまとめました。気軽に楽しみながらお読みいただくとともに、交通博物館利用の手引として活用いただければ幸いです」。日付は平成13年10月。まだ、4年前ですよ。

このような、博物館の歴史を、人の一生との比較で語るのは必ずしも適切ではないかと思いますが、交通博物館は70歳にして、本当に残念ながら、余命あと2ヶ月と宣告されているわけです。ただ、不幸中の幸いとでも言うのでしょうか、間違いなく最後の時までピンピンしている筈です。元気な間に、色々なことを教えてもらい、自分の記憶にとどめていきたいと思います。

さいたま市でのリオープンの際には、鉄道専門になってしまうため、私の好きな747の内部も、数多くの船の模型も、スバル360も、見られないわけですので・・・違う!そんなことはあの場所から交通博物館がなくなるという事実の前には、些細なことでしかないのです。交通博物館は、万世橋駅の遺志を引き継いでいるのですから。

お茶の水と神田の間に残る万世橋駅のプラットフォームと、鉄橋に記載されている交通博物館の案内の文字が消えることのないよう、祈っております・・・

なお、遺構公開の詳細については、敢えてここでは触れないようにいたしました。皆さんご自身の目で、是非お確かめください。

それではまた!


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