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故郷 [交遊抄]

鉄道博物館が埼玉にオープンした10月14日の日曜日、私は大垣にいた。
父の三回忌であった。

昨年の一周忌は小倉でこじんまりと済ませていたが、三回忌は両親の故郷である大垣で行った。親類の多くは、大垣や名古屋といった地域に住んでいるので、集まってもらいやすいということでそのようにした。小学校以来の父の親友夫妻にも来て頂いた。

父の実家のほか、母の実家も、私が小学生の低学年の頃までは大垣にあった。
8月のお盆の頃には、父と母の実家と、場合によっては同じく大垣にあった母の姉の実家を泊まり歩いたものである。

当時、おそらくタクシーか、誰かに車で送ってもらって移動していたと思うが、何故か夫々の家は随分離れたところにあるという印象を持っていた。地図でみれば、2~3キロしか離れていないのに、である。両親の実家がそれぐらいしか離れていない、ということは「ご近所さん」であったのに、そんな意識はまったくなかった。いつも新幹線の岐阜羽島で降りていたので、「大垣市内をうろちょろしている」というよりは「岐阜県内を移動している」と思い込んでいたのかもしれない。

また、当時は「おじいさん・おばあさんの家に遊びに行く」という目的しか頭にはなく、両親が実際にそこで育っていた、という認識がまったくなかったように思う。そんなことを思うのは、ある程度年齢がいってからであろうか。

田舎というと、いとこたちとおたまじゃくしを追いかけたり、蝉をとったり、花火をしたり、とアウトドアの遊びがほとんどだったが、幼稚園の頃には、扁桃腺の手術をしたという変な思いでもある。大垣市民病院で、一泊の簡単な手術であったが(といっても本人の私は大ショックだったらしく、今でも鮮明に一部始終を覚えている)、たくさんの親戚が見舞いに来てくれた。

その後、母方の祖父母が名古屋に移ったこともあり、中学・高校と進むに連れて大垣の地を訪れる機会は少なくなっていったが、1988年に父方の祖母が亡くなった時は、「もう大垣の実家を訪れることもほとんどないだろう」と思っていた。実際に、再度この実家を訪れることになったのは、それから18年経った1年半前のゴールデンウィークであった。このことは、以前にも弊ブログでご紹介済みである。
http://blog.so-net.ne.jp/fumi-chan/2006-05-08

何故この時、父の実家を訪れたかというと、父の約半年後に亡くなった母方の祖母の納骨が近くであったため、その折に挨拶等のために立ち寄ったものである。墓地はこの実家のすぐ近くに確保してあったのだが、この時にはまだ墓を建てておらず、納骨は墓開きとともに、この約半年後の1年前の10月29日に行った。

この地を出て、45年ほど大東市・横浜市(鶴見)・茨木市・小倉と亘り住んだのち、故郷である実家のすぐ近くに戻ってきた。見晴らしがとてもよく、伊吹山を始めとした山々に囲まれている。ただ、父はそのことを知る由もない。

一方、私は暫く途切れていた大垣行きが復活し、1年半前のGWから数えて既に4度訪れている。

大垣については、子どものころは基本的に両親の実家を訪れていただけなので、これといった記憶がないのであるが、あまり変わっていないような気がする。
確かに、街道沿いに並ぶコンビニやレストラン、スーパーなど随分新しくなったなという気もするが、本質的な部分は同じような気がする。

今度時間がある時には、一度街を散策してみたいと思っている。
母方の実家があったところは、どうなっているのであろうか。
大垣は奥の細道のむすびの地である。
養老鉄道や樽見鉄道もいい感じだ。

それではまた!

大垣駅前

市街地の様子


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コーヒーショップにて [交遊抄]

君とよくこの店に来たものさ…
古くから学生のまちだった…
紅茶のおいしい…

今ではあまり見かけなくなった、いわゆる「喫茶店」。
青春の舞台が、流行歌に繰り広げられていましたね。

大学生になってほどなく、自分も当事者になった。
大学の近くにあった喫茶店D。

以前、6月8日付弊ブログ「祭ばやしが聞こえた」からの抜粋。
… 大学時代、私の所属していた音楽サークルでは、毎週土曜日の午後2時から「部会」を行っていたわけですが、これが終わるとキャンパス近くの喫茶店で夕方までウダウダ過ごし、酒を飲むのにふさわしい時間になるのを待っていました。…

この、「ウダウダ過ごし」ていた喫茶店がそれである。
学生時代、その土曜日の部会の後は勿論のこと、授業をそっちのけで毎日のように通った。
今の店は全面改装後であるが、当時は間口が狭く奥に広がっている形で、一番奥のカウンター席には麻雀のゲーム機があり、誰かがそこにいつも陣取っていた。

先週、所用があって、母校の近くに行ったついでに寄ってきた。
6年ぐらい前に、送別会かなんかで訪れてはいたのだが、純粋に喫茶店の客として行ったのは、おそらく10年以上前だったので、すっかりご無沙汰していてちょっと緊張したのであるが、名前もちゃんと覚えていてくれてよかった。

この店はご夫婦で経営されているのだが、当時は奥様であるKさんが、基本的に一人でお店をやっていた。

Kさん曰く、
「あんたといえばナルシストよね」
「すんなり家庭におさまるとは意外だったわよ」
「いつも来てたけど、あまりしゃべらなかったわね。何が面白いのかなとも思ったけど、それなりに居心地がよかったのかしら。」

今だからの会話だけど、そうやってKさんは、自分を見ていたのだなと思うと、何か嬉しく思った。
今回は子連れだったので、早々にお暇したが、次回はもう少しゆっくり来よう。

それではまた!


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東京の集い [交遊抄]

先週末、母校である中学・高校の友人と酒を酌み交わしました。場所は「赤坂うまや」。こうした会を開く時に、大抵幹事役を引き受けてくれるS君の選ぶ店はいつも洒落ている。

   

今回は、京都からU君が出張で東京に来るのに合わせて集まりました。結局4人という小規模な宴会となりましたが、それもまた楽しいものです。実はU君とは在学時代はほとんど口も聞いたことがない(仲が悪かったわけではなく、接点がなかった)ので、不思議なものですが、何しろ卒業して23年間も経っているので、「今どうしているか」「卒業してからどうなったか」という切り口で話題は尽きないものです。

幹事役のS君とは、通学電車が同じで、阪急茨木市駅7時18分発の、急行電車の8両目の一番前のドアに乗り込むと、いつも隅の席に座って、皆のカバンを引き受けてくれました。今では大手企業に勤める会社員であります。

当日のもう一人のメンバーであるM君とは、バンド仲間でありました。彼の担当はベースでしたが、オーケストラもやっていて、ホルン(だったかな)を吹いていました。実家が美容室で、多くの友人がお世話になったはず。今では独立して建築事務所を営んでいます。

こうした中学・高校の友人との「東京の集い」は、多い時では、10人以上の規模になります。医者、作家、ミュージシャン、独立して会社を営むもの等、卒業生の中でもかなりバラエティーに富んだ顔ぶれとなっています。

こうした飲み会は、5年前から続いており、平均すれば年に2~3回くらい会っているのですが、私にとって、中学・高校の友人とは、それまで10年以上の間、まったくの音信不通になっていました。最大の要因は私の不精なのですが、きっかけとしては大きく3つほどあって、①大学3年の終わりに親が大阪から小倉に引っ越したため、大阪に行く機会がめっきりなくなってしまったこと、②入社してすぐの勤務地が名古屋となり、東京からも一時離れてしまったこと、③東京に戻ってからも独身寮・アパート・家族社宅と生活事情に合わせて住所を点々とした挙げ句の果てに、NYに転勤になってしまったこと、が挙げられます。

ちょうど5年前の今頃でした。もう縁は切れたかなあ、と中年を向かえ少し淋しくなっていたところ、勤務中に一服して席に戻ると、一枚の電話メモがありました。S君が会社の代表電話に架けてきたのです。何でも、その数日前に、久しぶりに何人かで会ったところ、東京在住の同期生を調べて、もう少し大きな規模で飲み会をやろうじゃないか、ということになったらしい。私の勤務先までは、卒業後の名簿にあったらしく、探し当ててくれました。本当に感謝しています。

それではまた!


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憧れの粋な人の話 [交遊抄]

「粋(いき)」という言葉を辞書(大辞林)で調べると
(1) 気性・態度・身なりがあか抜けしていて、自然な色気の感じられること(さま)。粋(すい)。
(2) 人情・世情に通じているさま。
(3) 遊里・遊興に精通していること。また、遊里・花柳界のこと。
(4) いろごとに関すること。
とあります。

とうことは、よく聞くところの「粋な人」というのは、これらの要素を持っている人ということになりましょうか。まあ「遊里に精通」までは求めていないと思うのですが、少なくとも(1)(2)は内包するのでしょうね。

どちらかといえば内向的な私にとって、身近なところでこのような「粋な人」に出会う機会は少ないと思うのですが、一人思い当たる方がいらっしゃる。

・・・会社の経営者であるK氏は、無類のジャズ愛好家である。行く先々のジャズ・クラブで、オーナーからはVIP待遇を受け、彼の回りには出演しているミュージシャンが自然に集まってくる。K氏は、飲み物を振舞いながら、ジャズ談義に興じる。おまけに、先の(1)を満たす、長身ですらっとしたダンディーな容姿を持ち合わせている・・・

身内がジャズ・ボーカルをやっている関係で、いくつかのジャズ・クラブに出入りしているうちに、私も時々その姿を見かけていたのですが、傍から見ている一庶民からすれば、妬ましくも思う存在でありました。しかしいつの日からか、何のきっかけだったかは覚えていないのですが、私もK氏を囲む輪の片隅に加わるようになっていました。

実際に輪に入ってみると、大変気さくで、気配りのある方で、老若男女分け隔てなく、私に対しても温かく接してくれました。お薦めのジャズ・クラブに個人的に連れて行ってもらったこともあるし、自宅が結構近所なので、タクシーで近くまで送ってもらったついでに、近所の寿司屋に滑り込むこともありました。支払いはK氏流「ワリカン」。「ここはワリカンだから君は10円だ」と言って、10円を受け取るのです。

また、何度かその方の前でギターを弾く機会もあったのですが、自身が主催するミュージシャンのセッション等にも声をかけてもらったこともあります。渋っていると「君はプロには劣るかもしれないが、アマの中ではいいギタリストだろう」と激励(?)され、何か嬉しく思いました。勿論、自分の技術の程度は理解しているつもりで(プロとのテクニックの差は極めて大きい)、さすがに参加できませんでしたが、要すれば何が言いたいかといえば、いつもそのような細やかな気配りをされる方だということです。

お酒にもこだわりがあり、アイリッシュウィスキーのBushmillsを好んでいました。どこかの酒屋で自分で買ってきては、それを「ここのジャズ・クラブでこのボトルを出すとしたらいくらになるか」という値段以上の値段を持ち込み料として支払った上で、皆に振舞う光景を覚えています。私は、現在2つのお店でボトルキープをしていますが、いつからか、一つの店のボトルキープはいつもBushmillsにしています。

K氏にはお世話になりましたし、男として憧れの存在でしたが、ついに遠くへ行ってしまわれるとのこと。K氏からみれば、私などは知人集団のヒエラルキーの底辺くらいの存在なのですが、近く行われる送別会には是非参加したいと思っています。

それではまた!


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「祭ばやし」が聞こえた [交遊抄]

昨日、大学時代のサークル仲間と酒を酌み交わしました。中学・高校の後輩でもあるHくんが、ハンガリーから一時帰国しているとのことで、久しぶりの飲み会でした。
場所は渋谷の「魚蔵居(うおくらい)」。ここは、かつては「祭ばやし」というお店でしたが、何年か前にこの店名に変わりました。

大学時代、私の所属していた音楽サークルでは、毎週土曜日の午後2時から「部会」を行っていたわけですが、これが終わるとキャンパス近くの喫茶店で夕方までウダウダ過ごし、酒を飲むのにふさわしい時間になるのを待っていました。気の早いメンバーは5時を過ぎた頃から、「そろそろ行くか」といって、渋谷に向かいました。目指すは「祭ばやし」。

夜が更けるとともに段々と飲み会参加人数も増殖し、気がつくと貸しきり状態になることもありました。比較的こじんまりとしたお店で、いつも入れるとは限らなかったので、先発隊の一人が、駅の伝言板に行き先を表示していました。当時は携帯もありませんでしたからね。

私が学生だった80年代は、チューハイブームでした。「祭ばやし」も当時は色々なチューハイがメニューにあったのですが、そのネーミングが面白かった。「ゴジラ」が普通の炭酸割り、「モスラ」がレモンハイ、「キングギドラ」がライムハイだったかな。食べ物では、祭ギョーザ(しその葉で包んだ揚げギョーザ)、チンチン炒め(赤ウインナー炒め。何というネーミングでしょうか)あたりが懐かしい。目玉焼きとか、メニューにないものも随分たのみました。

この飲み会は毎週繰り返されていましたが、卒業してからもNYに転勤になるまでは結構な頻度で行っていたので、くさい言い方をすれば、わが青春時代を過ごした、大切な場所であります。一人でもちょくちょく行ったし、自分の結婚式の3次会でぶらっと訪れた時には、店長から喜久酔(きくよい)という日本酒をお祝いに頂きました。

渋谷駅はガラッと変わってしまいましたが、「祭ばやし」は私が初めて訪れてから23年間を経た今でも、ほぼ変わらない姿で佇んでいます。ここ数年別のお店に移っていた店長も最近カムバックしたとのことで、元気な姿を拝見し嬉しく思いました。ちょっと小さく店長をご紹介。

なお、この祭ばやしは、「呑みづくし酒づくし」という漫画の中で、「祭茶屋」として紹介されています。

この漫画は、著名な日本酒評論家で、穂積隆信の実兄である、穂積忠彦さん(故人)がモデルとなっています。なお、「祭ばやし」のほかに、ここで紹介されている「あら井」という店は、東十条の「あら川」という店のことなのですが、私は今の場所に移る前、その「あら川」がテナントに入っているマンションに住んでいました。

それではまた!


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